私ね、朝夕お経を読んでいるのです。
最初に始めたのは、20才の時でした。
20才の時に、最愛の祖母が亡くなりまして、亡くなった時に、こんなに大切に育ててもらったのに、私は何を恩返ししていただろう。何にもしてなかった~って思って、もう亡くなってしまった人に、何もしてあげられないから、せめて祖母のために、お経を読もうと思ったのでした。
実家は東本願寺だったので、最初は阿弥陀経を読みました。阿弥陀経ってなんだか独特の節回しみたいなのがあって、読んだことのない私には難しかったので、父がカセットテープを(古い!)買ってくれて、最初はそれに合わせて読みました。
だんだん慣れてくると、音なしでも読めるようになったのですが、(最近どっかのお葬式で読んだら、ほとんど忘れていました)不思議な事がありました。
なんかね、背中がぼわーっとあったかくなるんですよ。嫌な感じではないんです。声もなんか違う声になったりしてて。
喜んでくれてるのかなって思いました。
でもね、残念なことに遊びたいばっかりの20才の大学生だったので、1年は毎日読んで、それから読まなくなりました。それに、一人でってのは、よほどの信念が無いと続かないですね。
それから、母の会のお経は法華経だったのですが、25才ごろからまたお経を読むようになりました。もう30年以上は、余程のことが無い限り朝夕読んでいます。
ただね、30年以上も読んだら、すっかり暗記してしまって、子育てに忙しい時は、読みながらいらない事を考えたりするようになりました。今日の夕飯は、あれやってこれやってなんてね。
でもね、ある時道場で、集中して無になって読むといいですよって聞いたのと、2年前に得度を頂いたのと、母が亡くなって母の過去帳(お戒名がいっぱいかいてあるやつ)を引き継いでから、なんだか不思議な事が起こりました。
やっぱり、ぼわ~んと背中はあたたかくなるのですが、前にも書いたけど、私がお経を読む声が、ユーチューブとかで高波動の音楽とかで流れているような、ぐおんぐおんって音が聞こえるようになったのです。
勘違いしないでくださいね。私が素晴らしいのではないのです。だって、それが聞こえるのはお経を読んでる時だけなんです。もし私が高波動な人だったら、普通にしゃべる声もぐおんぐおんすると思うのですが、そうではなくて、お経を読んでる時だけぐおんぐおんしてるから、お経の力なんだと思うのです。
会の先輩に「経力ってあるんだよ」って教えてもらいました。
お経を読んで経力を頂いているのかもしれませんね。
でね、ぐおんぐおんします。で?って思いませんか?
多分ね、浄化されてるんですよね。
もしかしたら、瞑想をする人たちは、瞑想でそういう感覚を味わうのかもしれないんだけど、お経を読むと、心のもやッと感が無くなるんですよね。それに、同じことが起きても、自分の受け取り方がどうも違うんです。
人間の幸せって、起きたことをどうやって受け取るかで、随分違うと思うのです。何でもHAPPYで感謝で受け取れば、どんどん感謝がやってくるし、不満の心で受け取れば、不満がやってくると思うのです。
人間なので、自分にとっていい事ばかり起きるわけではないけど、嫌な事があったら、自分の成長のための学びとして、そして、いい事が起こる前兆だと思い、いい事があったら、感謝で受け取り、お調子に乗らないように生きる。それがいつも出来ると幸せですよね。
まだまだっすけどね。現実はキビシイ