私のミラクル日記

私たちの会では、法華経を日常の生活に実践しましょうって教えてもらっています。

 

でね、教えてもらっている一つに、頭を下げましょう、人の仏性、神の部分を拝みましょうって行があります。

 

私は、若い頃はなんでもかんでも頭を下げて、人の言うことを嫌でも聞いていました。

 

でもね、それってしんどくなりますよね。(しんどかった)特に母は、私に要求が多くていつも無理難題を言ってきました。でも、親孝行だと思って、母の言うことをうのみにして聞いていました。でも、結婚して「なんか違う?」って思いました。そのころもうすうすはおかしいと思っていたのですが。

 

で、どうするか、考えたのですが、出来ない事は聞かない、でも、「出来ないわ。ごめんね」って、頭を下げるのがいいのかなと思っています。それとね、言いたいことは言う、でも、相手が気分を害さないように、上手に言うのが、人間関係を円滑にするのにいいのかなと思っています。

 

だって、人間って本当は神の一部なんだから、「ごめんなさい」って言われたら、小さい事なら許してもらえるでしょ。そんな大きなごめんなさいを言う機会は、今の所、おかげさまでないのですが。

 

人間って「ありがとう。ありがとう」って生きてれば、ありがとうなことがどんどん起こってくるのではないかと思います。そして、あれは嫌だ。あの人は嫌だって文句ばっかり言ってると(私もちょいあるけど)結局、また嫌な事が起こってくるのではないかと思うのです。(なのでちょいある)

 

ホントはすでにありがとうなのに、それが見えなくなってしまう時ってありますよね。

 

それでね、話しがずれましたが、ここからが本題なのですが、私の師匠に聞いた話なのですが、昔の私たちの会でね、ご主人が浮気をして、家に帰って来ない人に「愛人の所に行って、主人がいつもお世話になってますって、頭を下げていらっしゃい」って、ご指導があって、その人がその通りにしたら、ご主人が家に帰って来たって話を聞きました。

 

あ、真似しないでくださいね。多分、前後とか背景があってのお話なのですから。

 

それでね、ちょっと思い出して、最近会の人にその話をしたの。その人ね、ずっとご主人の浮気と借金で苦労されてて、みんな言わないけど、もう離婚すればいいのにって思ってたんです。そのために弁護士さんのお世話とかもしてたんですよ。でも、夫婦って他人がわからない何かがきっとあるんですよね。離婚してないんです。

 

私は「でも別にやれって言ってる訳じゃないからね。そんな事もあったんだってって話だけよ。昔はそんなミラクルもあったって話だけよ」って言ったのに、その人そうしたらしい。(*_*;

 

で、どうなったかって、変わりはないのだけど、その人が言うには、なんだか心がすっきりしたらしい。そのご主人ちょっと前に入院して手術したんだけど、別居してても、戸籍上はまだ妻なので、急に倒れた時には、病院から奥さんの所に連絡があったらしいです。そして退院して、また愛人の所に行ったらしいのですが、今は車いす生活をしているらしいのです。

 

「なんかすっきりしたんだわ~。旦那車いすだから、介護も大変だと思うけど、お世話になってるわ~」って晴れ晴れとお話してたんですよ。

 

なんかすご!って思ってしまいました。

 

乗り越えられない苦は自分の所にはやって来ないと教えてもらっていますし、この現実の世界で、色んな経験をして1つでも向上し、神仏に近づくために私たちは生まれてくると教えてもらっていますが、その人はたくさん苦労をしたけれども、確実に自分の器を、一回りも二回りも大きくしていたのだなと思いました。

 

師匠に、常識の世界とは反対の事をするんだよって教えてもらった事があります。神仏は与えっぱなしですもんね。でも、人間は欲しいですもんね。(私もよ)ホントは恨みつらみの一つでも言いたい所を、(私だったらそうだと思います)頭をさげるなんてちょっと出来ないですよね。

 

思えば私も、その師匠に母の事を聞いてもらったりもしました。でも、理不尽なんだけど、最後には「でもね。親孝行よ。頭を下げるのよ」って言われ続けていました。だから、頑張れたのかもしれません。

 

そして、もしかしたらそのおかげなのかも知れないけど、自分の子供は親孝行ないい子(親バカかもしれないけど)なのかもしれません。だって、出したものが返ってくるのだから、宇宙の真理から言えばそうかもですね。

 

いつか人々がお互いに理解しあって、思いやり合える世界になるように、微力ですが自分の周りから努力しようと思います、

 

読んで下さりありがとうございました。

 

 

 

 

 

私のミラクル日記 お彼岸

23日に我が家でお彼岸供養をしました。

 

仏教では、悩み苦しむ世界を「此岸(しがん)」と言い、悟りの世界を「彼岸(ひがん)」と呼びます。

 

我が家に10数名の方がやって来て、お彼岸供養をしたので、準備がとっても大変でした。💦

 

気付いたら、夕飯を食べるのが夜10時でしたって事もありました。(家族は先に食べてますよ)

 

でもね、気づきもあったのです。

 

信仰ってね、陰を見るのが大事だと教えてもらった事があります。見えない所を見るって事です。(霊とかは見えませんよ)

 

この私の命を頂くために、たくさんのご先祖様がいるって事です。目には見えないけど、亡くなったたくさんのご先祖さまがいてくれたからこそ、今、私はここに命を頂いているって事です。一人でも欠けていたら、私はここにはいないのです。

 

そう思うと、毒親毒親だと言っていた母がいなければ、私もここに命を頂いていないってことに気づきました。

 

そして、命はあたりまではない、頂いているものだと思えたのは、法華経の教えのお陰様です。法華経を、あの母がわたしに引き継いでくれなかったら、そういう気持ちにはなれなかったって思えました。

 

結婚前はものすごく大変だったけど、大変だったからこそ、法華経に救いを求めて学んだ部分もありました。

 

もしかして、母が私の理想通りの、やさしい母だったら、法華経を深く学ぼうとは思わなかったと思います。

 

実は半年ほど前に、瞑想をしてみたのです。それでね、私の妄想(韻ふんでるの、へへ)かもしれないけど、私は高い所に上っていって、山の上で瞑想してたんです。黄色い袈裟を着て、何にも持っていなくて、法華経はありがたい、ありがたいって泣いてたのです。で、5分たって、目を開けたら、私ほんとに泣いていたのです。

 

もしかしたら、法華経をもっと学びますって生まれてきたのかもしれませんね。知らんけど。(笑)過酷な人生だったから、余計に本気だったのかも知れません。求める気持ちが強かったのかもしれません。

 

嫌な事や悲しい事があると、いつも、私たちの会を作った人の本を読んでいました。

 

結婚前の苦しかったことも、それもあっての今なのかもしれませんね。

 

母はわかってんのかわかってないのかだし、今でも、母の言ってたことはおかしいと思ってることはあるけど、「法華経は宇宙の真理よ」って言ってました。

 

確かに、バシャールの言ってることと、共通している部分はたくさんあるような気がします。

 

バシャールの「家が欲しいって思ったら、家が手に入る」って動画を見たんだけど、実は前にも書いたけど、今住んでる家は、ローンも払ってないし、家賃も払ってないんです。ただ欲しいって思ったら、住めるようになったのです。私の持ち物ではないですけど。

 

あとね、結婚前はギリギリで生きてたから、念が強かったのかもしれないけど、仕事で「あの部署に行きたいな~」なんて思ったら、その部署に行けたりしました。ただ、叶わない事もありました。もしかしたら、表面上ではこうしたいって思っていても、心の奥の部分では、願っていなかったのかもしれないですね。何となく無理だなと思っていても、「いや違う」って空回りしてたのかなと思うのです。

 

お彼岸の話から、どんどん話がずれてしまったけど、考え方は人それぞれだし、信仰は個人的なものだし、私たちの会を作った人は、これだけが良くてあとはダメって考えではないです。みんなで助け合って、世界が平和になるように努力しましょうって考えなのです。

 

ただ、私は法華経に出会えて良かった。だから、毒親でも母で良かったのかなとお彼岸に感じることが出来ました。

 

1つ悟りに近づけたのかしら・・・・

 

読んで下さりありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

私のミラクル日記 経力

私ね、朝夕お経を読んでいるのです。

 

最初に始めたのは、20才の時でした。

 

20才の時に、最愛の祖母が亡くなりまして、亡くなった時に、こんなに大切に育ててもらったのに、私は何を恩返ししていただろう。何にもしてなかった~って思って、もう亡くなってしまった人に、何もしてあげられないから、せめて祖母のために、お経を読もうと思ったのでした。

 

実家は東本願寺だったので、最初は阿弥陀経を読みました。阿弥陀経ってなんだか独特の節回しみたいなのがあって、読んだことのない私には難しかったので、父がカセットテープを(古い!)買ってくれて、最初はそれに合わせて読みました。

 

だんだん慣れてくると、音なしでも読めるようになったのですが、(最近どっかのお葬式で読んだら、ほとんど忘れていました)不思議な事がありました。

 

なんかね、背中がぼわーっとあったかくなるんですよ。嫌な感じではないんです。声もなんか違う声になったりしてて。

 

喜んでくれてるのかなって思いました。

 

でもね、残念なことに遊びたいばっかりの20才の大学生だったので、1年は毎日読んで、それから読まなくなりました。それに、一人でってのは、よほどの信念が無いと続かないですね。

 

それから、母の会のお経は法華経だったのですが、25才ごろからまたお経を読むようになりました。もう30年以上は、余程のことが無い限り朝夕読んでいます。

 

ただね、30年以上も読んだら、すっかり暗記してしまって、子育てに忙しい時は、読みながらいらない事を考えたりするようになりました。今日の夕飯は、あれやってこれやってなんてね。

 

でもね、ある時道場で、集中して無になって読むといいですよって聞いたのと、2年前に得度を頂いたのと、母が亡くなって母の過去帳(お戒名がいっぱいかいてあるやつ)を引き継いでから、なんだか不思議な事が起こりました。

 

やっぱり、ぼわ~んと背中はあたたかくなるのですが、前にも書いたけど、私がお経を読む声が、ユーチューブとかで高波動の音楽とかで流れているような、ぐおんぐおんって音が聞こえるようになったのです。

 

勘違いしないでくださいね。私が素晴らしいのではないのです。だって、それが聞こえるのはお経を読んでる時だけなんです。もし私が高波動な人だったら、普通にしゃべる声もぐおんぐおんすると思うのですが、そうではなくて、お経を読んでる時だけぐおんぐおんしてるから、お経の力なんだと思うのです。

 

会の先輩に「経力ってあるんだよ」って教えてもらいました。

 

お経を読んで経力を頂いているのかもしれませんね。

 

でね、ぐおんぐおんします。で?って思いませんか?

 

多分ね、浄化されてるんですよね。

 

もしかしたら、瞑想をする人たちは、瞑想でそういう感覚を味わうのかもしれないんだけど、お経を読むと、心のもやッと感が無くなるんですよね。それに、同じことが起きても、自分の受け取り方がどうも違うんです。

 

人間の幸せって、起きたことをどうやって受け取るかで、随分違うと思うのです。何でもHAPPYで感謝で受け取れば、どんどん感謝がやってくるし、不満の心で受け取れば、不満がやってくると思うのです。

 

人間なので、自分にとっていい事ばかり起きるわけではないけど、嫌な事があったら、自分の成長のための学びとして、そして、いい事が起こる前兆だと思い、いい事があったら、感謝で受け取り、お調子に乗らないように生きる。それがいつも出来ると幸せですよね。

 

まだまだっすけどね。現実はキビシイ

 

 

私のミラクル日記

12日に、実家のお墓に行ってきました。

 

夫は行かないと言うので、私一人で行ったのですが、せっかく一人だから、他にも寄り道しました。

 

少し足を延ばして、私が生まれた時に宮参りに行ったり、子供の頃七五三に行った神社に行ってきました。この神社は、スサノオノミコトを祀っている天王社の、総本山の神社です。スサノオノミコトの総本社ではなく、天王社の総本社って、どういうことなのか私はよくわかりませんが、とにかく由緒正しき神社なのだとは思います。

 

子供の頃感じていたより小さく感じたのは、私が大人になったせいかも知れません。

 

神社って、石の橋がある所ありますよね。そこも、石で出来た橋があって、子供の頃は渡って遊んでたけど、人が渡り過ぎたのか、橋がつるつるになっていて、通行禁止になっていました。

 

失礼だけど「古っ!」って思いました。良く見たら、出来たのが1605年だって書いてあったので、そりゃそうだわと納得しました。徳川家康の奥さんの誰かが、子供の健康を願って建てたそうです。関ヶ原の戦いの5年後って・・・

 

手を合わせたら、また不思議な感覚になりました。

 

ああ、今まで生きて来れて良かった。ありがとうって思いました。

 

こういう所にくると感じる、ちょっと胸の奥が苦しくなるような、(嫌な感じではないです)大きな愛を感じました。私の会の道場に行って、お掃除させてもらって、帰る時もこんな気持ちになるのですが、胸の奥が暖かくなって、ちょっとありがたくて泣いちゃいそうな感じですかね。(あ、実際泣きましたけど(笑))

 

きっと、生きているもの(植物も、動物もその他も)すべてが、この愛で守られてるんだと思いました。目には見えないけど、私のお粗末な語彙力では表現が難しいのですが、お腹の中にいる胎児の気持ちというか、全てを包み込む愛と言うのか・・・上手にはお伝え出来ないです。

 

人間って、生きていれば、自分にとって都合のいい事ばかりは、おこりませんよね。でも、その中で精一杯生きている私たちを、見守ってくれている愛情を感じました。

 

二十歳で最愛の祖母を亡くした後、私と母との関係はいいものではありませんでした。私なんて、この世からいなくなればいいのにって思っていました。

 

でもね、生きてて良かった。

 

母との確執は、私にとって学びでした。あの苦しい日々があるから、今の幸せがあるんだと心から思えました。

 

法華経の二十八番に、こんなことが書いてあるんですよ。

 

一には諸仏に護念せらるることを得

二には諸々の徳本を植え

三には正成聚に入り

四には一切衆生を救うの心をおこせるなり

 

って。

 

私の解釈なので違ってるかもですが・・・

 

見えないものに守られていることを知り、人の役に立つことをし、励まし合える善き友を持ち、みんなが幸せになるように生きなさい。って事かと思うのですが。

 

苦しい時こそ、自分が学ぶ時なのかな、あの苦しみがあったからこそ、成長できたのかな、その苦しみさえも、おぼしめしだったのかなって思うのです。

 

法華経に書いてあるのですが、法華経の深遠さに比べたら、あなたの一生なんて、海の水をスプーン1杯すくったほどですよってあります。宇宙って大きいですもんね、大きい宇宙から考えたら、私なんて鼻息で飛んでしまうほど(見えないか・・・)小さいですよね。

 

でもでも、自分の魂を磨くために、この世に生まれて、私的にはすったもんだして、でも、今、命があることが、なにより幸せなことかなと思いました。

 

本殿をお参りして、心洗われる気持ちになったのですが、正面の社を出た所の神殿も、ものすごく温かいものを感じました。

 

でも、なんで外にあったのかは不思議です。いつものようにピリピリして、ちょっと鳥肌だったので、世界が平和になるようにお願いして帰って来ました。

 

読んで下さりありがとうございました。

 

 

 

 

私のミラクル日記 ミロクの世?

私のいる会は、戦後の日本が荒廃した時に、ご神示によって出来た会です。きっと、有名な所ではないので、聞いても知られていないと思います。

 

昔はお九字(多分、今で言うチャネリング)を切って、神さまから直接指導があったそうです。私の生まれる前なので、よくわかりませんが。今はそういうことはしていません。

 

息子が今18才なのですが、赤ちゃんの時に、道場の入り口に写真が貼られました。(うちの息子だけではないです)その時の縛りが、2004年の節分以降に生まれた子だったのですが、その昔ご神示で、2004年の節分以降に生まれた子が、世界を救うって言われたそうなんです。

 

なので、友達の子供は同じ学年なんだけど、節分前に生まれたから、写真を貼ってもらえませんでした。

 

そんなの後出しじゃんけんじゃんと思われそうですが、今、18年たって、動画見たら、今の子たちって、レインボーチルドレンとか言うんですよね。所説あるのだけど、うちの会は2004年節分以降だけど、2000年以降ってのも動画で見ました。

 

私は、小学校の授業後に、子供を預かる所に時々行くのですが、子供たちは、私が小学生の時と比べても、いい子で多才で心がきれいな子が多いような気がするのです。

 

あとね、その時に聞いたのか、もっと前に聞いたのかわからないけど、これからは、例えばキリストとか、仏陀とか、モハメッドとか、一人のカリスマ的な人が、世の中を引っ張るのではなくて、お地蔵さんみたいに、そこいら中から、世の中のために働く人が出てきて、平和な世の中になると聞きました。

 

確かに、ここ数年で、なぜかスピリチュアルに関心を持ったって人多くないですか?それとも、私みたいに、きっと誰にもわかってもらえないから、言わないようにしてた人がいるのかな。

 

結婚前は、母のスパルタ教育でさせられてた感があるのだけど、母に「人様のために身を使っていたら、絶対に困らないから」と言われ、洗脳(?)されてきました。

 

確かに、今専業主婦だけど、なんとか働かなくても生きていられるのです。(ザクザクお金があるわけではないし、時にはピーピーしてるけど)今、ちょうどお隣さんが来て、お野菜をくださいました。よく両隣から頂くのだけど、うちも、もらってばかりでは申し訳ないから、主人の実家から何か送ってもらったら、両隣に差し上げるのだけど、そうやって、お互いつかず離れずもたれかからず、思いやりあって助け合って、生きていく世界になっていくのではないだろうかと思うのです。

 

そうやって平和な世の中になっていくのではないかと思うのです。(私の考えです。色んな考えがあると思います)

 

でね、ちょっと私のミラクルなお話なのですが、うちの道場で、半年ほど前に導師をすることがありました。そんなにギャラリーはいないけど、ものすごく緊張しました。めちゃくちゃ集中しました。無だったと思います。そしたら、お経が終わった時に、ミロクって言葉が降りてきました。

 

私はミロクって弥勒菩薩のことかな?くらいにしか思いませんでした。

 

それがね、またしばらくして、今度は家でお経を読み終えた時に、「マイトレーヤ」って言葉が降りてきました。あれ?そんな人オウム真理教にいなかったけって思いつつ、ネットで調べたら、マイトレーヤって弥勒菩薩のことなんですよね。

 

ごめんなさい、勘違いしないでくださいね。私は弥勒菩薩の生まれ変わりとか、そんな中2病みたいなことは思わないですから。

 

私が半年かけて行きついた答えはですね。(違ってるかもしれないけど)弥勒菩薩って慈悲の菩薩なんです。仏教の慈悲ってキリスト教で言うと愛なんです。

 

ミロクの世って、私が読んだ本では、35億年先って書いてあったし、巷では救世主が表れて、世の中が良くなるとか思われているけど、先のことはわかりませんが、一人一人が弥勒菩薩になって、愛と思いやりを持ち、助け合う世の中を、私たち自身で作っていくのではないのかなと思うのです。

 

なので、あんたもその一人になりなさいよって事で、ミロクって言葉が降りて来たのではないかと思っているのです。

 

私に出来ることは、そんなにないかもしれませんが、夫が働いてくれるので生活出来ることに感謝して、お野菜が出来る=天の恵み、地の恵みに感謝して、愛と思いやりを持って生きていきたいなと思います。(同情するなら金をくれと言われたら、それは出来ないけど、生きる希望は与えられると思います。)

 

読んで下さりありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

私のミラクル日記 また呼ばれた!!

前回の記事から続きがありました。

 

kageyamayouko.hatenadiary.com

この記事を書いたあと、2回同じ神社に行きました。

 

行った次の日だったかに、朝起きてすぐその神社の名前が目に浮かんできました。

これは来いと言う事なのかと思い、もう一度その神社に行きました。その時はね、何にもなかったんだけど、また次の日にも朝起きると、今度はその神社は塔があったんだけど、その塔の景色が目に浮かんできました。

 

その神社ってね、神仏習合っていうんですか?もともとお寺と神社が一緒にあったところのようで、その名残で塔が残されていたのでした。

 

その日は、実はママ友と約束があったのですが、ママ友から体調が悪いと言われて、キャンセルになりました。それなら行けるじゃないかと思いました。今までも、そういう事は何度もあるので、これは流れに身を任せるしかないかと思いました。

 

3回目に行った時に、あることを思って、涙が止まらなくなりました。しばらく神社の駐車場で泣いてから、参拝しました。

 

浄化なのかしら?

 

私の心の奥の、ひっかかっているものが、浄化されたような気がしました。

 

だから、呼んでもらってたのかしら?

 

結婚して25年苦労が無い訳ではありませんでした。でも、帰る時には、それでも25年夫と苦楽を共にしてこれたな、乗り越えてこれたなって思いになり、幸せな気持ちになりました。

 

仏教では、人生は苦であるって教えてもらっています。

 

思い通りの人生なんて誰にもないのです。みんな生まれてきて、色んな事を経験して、乗り越えて、味わうんだと教えてもらっています。

 

ああ、夫と乗り越えてこれたなって感謝して帰ってきました。

それが夏至の日でした。パワー頂けたのかも。

 

でもね、その2日後に夫とケンカして3日経ったけどまだ口きいてません。(*'▽')

人生山あり谷あり。相手は変わらない。自分が変わるしかない。でも、今の所、変わる気はないわ。(#^.^#)

 

そのうちね。

 

これだから人生は面白いのかもしれませんね。

私のミラクル日記 やっぱり神は愛だった

ある神社に呼ばれて行きました。

 

どう考えてもそうだと思うんだけど、次女の部活の発表があって、そこまで送って行くときに神社の看板が目に入りました。1回目はなんてことなくスルーしました。

 

次女を送った帰りに、そこの市はかきつばたが有名なので、ちょっと見て帰ろうと思ったんだけど、季節が終わってしまったのか、駐車場に車を入れられませんでした。

 

次の日も行くというので、送っていったんだけど、道に迷って、前の日に看板を見た神社の前に着いてしまいました。

 

これは来いって事かなと思い、次女を送った後にその神社に向かいました。菖蒲園が有名って看板に書いてありました。前の日にカキツバタに行ってたら、多分行かなかったと思います。

 

最初拝殿を拝んだ時に、あれ?ここって神さまいるのかな?って思いました。

 

実は、ママ友が、家の近くの○○神社には神さまがいないってネットに書いてあったって言ってたのですが、私もそんな気がしてたのです。その隣の社は絶対いるって思ったんだけど、こっちはいないかもって思ったのです。トイレが本殿の近くにあったので、「これっていいのかな?」思ったんです。

 

前にも書いたけど、神さまがいる所って、肩がピリピリするんですよ。これもネット情報だけど、そういう人はいるようです。

 

で、その昨日行った神社の、隣にあった社を拝んだら、雨がパラパラ降ってきました。「あれ?雨?」って思って傘をさしたら、雨はすぐやみました。

 

これもネット情報だけど、雨がパラパラ降るのって、ウエルカムのサインらしいですね。

 

その神社がカキツバタではなく、菖蒲が有名らしく菖蒲を見て来ました。もう季節が終わりかけで、しおれているお花も多かったです。

 

「どういう神社なんだろう」って思って、神社の地図を見ていたら、どうも本殿は奥の方にあるみたいでした。どうやって行くのか最初わからなかったのですが、適当に歩いていたら、表の菖蒲園よりずっとずっときれいな菖蒲園の奥にそれはありました。

 

小さくてひっそりとしていて、多分普通に参拝したら気づかない所にありました。

賽銭箱もないようなひっそりとした本殿でした。

 

でもね、手を合わせたら、確実に伝わってきました。

 

愛が

 

大好きだよ、大切だよ。って、ホントに愛にあふれていました。ちょっと胸の奥が熱くなるような、涙が出そうになるような、温かい愛でした。

 

前に私の大好きな神社でも感じた感覚でした。

 

きっと神さま仏さまって、こういう気持ちを、すべての生きとし生けるもの全てに、与えているのではないかと思いました。

 

私ね、選ばれし人っていないと思うんです。ホントは、みんなみんな選ばれし神仏の大切な子供だと思うのです。

 

ご利益って、何か上手くいくとか、ラッキーがあるものではないと思うのです。

 

ただ、神社仏閣を参拝して、神仏の愛に気づき、心をきれいにしてもらって、また、元気に頑張れるのがご利益だと思うんです。何かして下さいはちょっと違う気がするんです。(ま、息子の受験の前には私も受験祈願に行ったけど。てへ)

 

きっとあそこの神様は、美しい菖蒲園の奥で、回りの人に癒しを与え続けているんだなって思いました。ありがたいなって思いました。

 

読んで下さりありがとうございました。