私のミラクル日記

他の人のブログを見て、確かに母のやり方は折伏だったなって思いました。

それで、自分を見つめ直すことが出来ました。

 

結婚するまで、母の姿を見ていたら、私の会はおかしいおかしいって思っていました。教えてもらっていることと、母のしていることが全く違うのです。でも、母は私にだけなんですよ。多分、自分の子供だから、執着が強かったんでしょうね。

 

私は、お世話になっている方に、何度も話を聞いてもらいました。その方は、ホントに慈悲のかたまりみたいな人で、私の話をさえぎることなく「そうだね。そうだね。あんたは頑張ってるよね。」って、うなずいて聞いて下さいました。でも、ひとしきり私が話してスッキリすると、「でもね。親孝行するんだよ。親に頭を下げるんだよ。」っておっしゃいました。ホントに理不尽な話だけど、その方に言われたら、聞かない訳にはいかない、そう自然に思わせる人でした。

 

ある時は、こうも言われました。「あのね、順化(じゅんけ)と逆化(ぎゃっけ)とあってね。逆化の方がより身に着くんだよ。」って、言われました。順化って言うのは、そのお世話になった方のように、「ああ、あの人みたいになりたいな。」って思わせて、人を教化するもので、逆化は、まさしく母「あんな人にはなりたくないな。」って思わせて、人を教化する方法です。

 

結婚前は、ほんとにしんどかったんです。宗教活動が忙しいからと、母はほとんど家事をしませんでした。私は、平日は仕事をして、それから布教に行きました。そして、週末、活動が無い時に、家の掃除と洗濯をしました。仕事も忙しく、ホントに寝る時間がありませんでしたし、会に行くのに交通費もかかるし、月末になると母が「ちょっとお金貸してくれない」なんて言うから、いつもいっぱいいっぱいの生活でした。

 

布教はね、まだまだ世の中には苦しんでいる人がいるから、この教えのご縁になって頂きたいとするもので、決して会を大きくしたいからするものではありません。そして、そのご縁から、自分が学ぶきっかけになるためにするのです。

 

私も若かったから、人を助けるぞ!なんて意気込んでいましたが、ある時「この人にご縁になってくれない?」って言われた人がいて、その方に会って、色々考えさせられました。その人はね、母一人子一人で、お母さまのお腹にいる時に、お母さまが糖尿病だったので、お嬢さんも先天性の糖尿病で、若いのに毎日インシュリンを自分で打っていました。しばらくするとお母さまが癌になり、入院しました。

 

母が宗教活動に熱心で、家の事をしないから、父と母は毎日ケンカでした。そして、母は私に八つ当たりをしました。「なんでこんな家に生まれたんだろう」って、毎日思っていましたが、そのお嬢さんの事を思ったら、そんな事を言ったら、申し訳ないのではないか、あんなに大変なのに文句も言わないその方を、助けられない自分の非力さを痛感し、両方の意味で毎日部屋で泣きました。

 

私の母も糖尿病で、1か月程食事制限のために入院したことがありましたが、その時も、毎日毎日電話がかかって来て、仕事から帰って病院に行くと「ご飯がまずい」とか愚痴を聞かされ、家では家事もしないといけないのに、父は、母がいないのでさみしかったのか、酔っぱらてくだをまき、仕事では、上司に母が入院している間は、早く帰らせて欲しいとお願いしてたのに、夕方になると仕事を振ってくるのでした。上司もね、私の事をものすごく頼りにしてたのでした。だから、私が帰って欲しくないから、そんな時間に仕事を振って来るのでした。私たちの会で教えてもらって私が得たこと、”頭を下げる。労を惜しまない。注意されたら、謙虚に「はい、気を付けます」って言って、自分が変わる努力をする”って事を心がけていたら、上司に気に入られて、どんどんやりがいのある仕事を任せてくれて、お給料も上がっていきました。

 

今となっては、若かったから出来たのかなと思います。

 

その後、夫と知り合い、結婚しました。

 

それからは、母みたいになるまいと思って、色々あったけど仕事を辞めて、家庭第一で

子育てをしました。子育ても、母みたいにはならないって言うのが、私の心にはずっとあったので、出来ない事も多かったけど、布教で学んだこと、”子供の仏性を拝む、子供の心に寄り添う。”そう思って子育てをしました。母は、私を言葉や力で変えようとしました。わたしは、それがとっても嫌だったので、本来子供が持っている素晴らしいものを尊重したいと思って子育てをしました。そしたら、とってもいい子になったのです。ま、上には上がいるから、上を見たらキリがないけど、その年代の私と比べたら、私は確実に子供に負けてると思うのです。

 

若い頃に会の勉強に出て、「雨はうんこの上にも落ちるのです。」って聞いた時に、あ、私、うんこの上に落ちた人だ。って思いました。でも、今はうんこを栄養にして、変化したのかなって思うのです。

 

法華経の教えは、それぞれの機根に応じてしか受け取れないと書いてあります。母は母の受け取り方、私は私の受け取り方なんです。

 

また、あなたの一生なんて法華経の深遠さに比べたら、スプーン一杯の海の水を、右から左へ運ぶほどのものですって書いてあります。もっと機根が上がれば、もっと受け取れるようになるのかな。

 

まだまだ先は長いけど、私は、母と言う泥の中に染まらず、花を咲かせて幸せな家庭を頂けたのは、法華経の教えのお陰さまなのだと思っているのです。

 

いまだに、結婚前の苦しかった日々を思い出して、母に色んな気持ちは起こるけど、それが無ければ、今の幸せはないと思うと、それも、いつかありがたいと思える日がくるのでしょうかね。母が提婆達多だったんだろうなあ。でも、まだ善智識とは思えないなあ。

 

書いたらすっきりしました。

 

読んで下さりありがとうございました。