私は母の事を毒親だった、とか苦しかった、とか前回書いたのですが、最近気づいた事がありました。
自分に嫌な事を言う人=悪ではないって事です。
それは、自分にとって必要な学びなんだってことです。必要があって、そこに登場するのかなって思いました。
批判って、自分にとってはありがたくないんだけど、それによって、より自分と向き合える機会を頂いたのかなって今は思うのです。
母は、私を全面否定の人でした。ほんとに苦しかった。でもその中で、私も成長出来たのです。で、結婚して母と真逆の考えの姑にあって、あれ?って思っちゃったのだけど、その中で、また違う方向で成長させてもらえたのかなって思ったのです。
答えは一つじゃない。それぞれにそれぞれの正解があるのかな?
そしたら、そこから自分が学ぶことが、私自身の成長なのかなって思いました。
私もね、うちの会の人たちに、色んな思いがあるのです。私が担当している人たちは、自分の子供のように、大切な人って思えるのですが、違うグループの人が、その方の担当している人たちに怒ったりしてると、「あんな言い方しなくてもいいのに。あの人は教えてもらってることと違ってる。」って批判の心が起きるのです。
上の人に、「あれって違いますよね。」って言ったら、「人それぞれだから。」って言われて、???でした。
でもね、やっとわかりました。それぞれ転生の回数も違うし、育った環境も違うし、
同じことを聞いても、受け取り方は人それぞれ、その人に応じてなんですね。山に登るのに、登り方は人それぞれですもんね。
私は、人にはその人が元気になるように、やさしくあたたかい言葉をかけることを心がけています。それは、他でもない、母に、厳しいひどい事を言われたから、そうあらないように肝に銘じているのです。そしたら、その母の言葉や私の経験も、私の人生ではいい方に生きるのかもしれませんね。苦しいのも×ではなかったのかな。
読んで下さりありがとうございました。