私のミラクル日記

私は、前世を見てもらった事とかは無いのですが、若かったころに、不思議な夢を見ました。夢って、その日にあった事とかを思い出して、それが出てきたりすることもあると思うのですが、そんな心当たりもなくて、突然夢に出て来た光景がありました。

 

私は足軽で、敵なのか味方なのかわからない人がまわりにいたのですが、怖くて長いなぎなたを振り回したら、まわりの人達が去って「あ~良かった」って思っている夢です。でも、敵か味方かわからないのに、もしかして誰かに傷を負わせていたかもと思った夢でした。

 

もう一つは、多分アジアの国で、私は敵の通訳的なものをしていて、ビクビクしながら生きていた夢でした。

 

どっちもかっこ悪いし、味方に迷惑をかけた自分が情けなくて、忘れられなくて、自分の心に残っていたのかもしれません。その思いが強くて、私の心にあったのかなと思うのです。

 

そして、もう一つは、これは夢では無くて現実なのですが、沖縄の曲、民謡とか子守唄とかを聞くと、不思議なことに必ず泣くんです。不思議ですよね。号泣しちゃうんです。

 

娘には「お母さん、前世に沖縄で戦死したんじゃないの?」って言われるけど、私も確かにそうかもしれないって思うんです。

 

不慮の事故なんかで亡くなると、早く転生するってYouTubeで言ってたから、そうかもしれないですね。

 

前に書いたけど、だから戦争の慰霊供養で、霊が降りちゃったのかもしれないですね。

 

沖縄は、昔バブルの頃に、リゾートホテルに泊まったことはあるけど、実際に戦地になったところには行ったことがありません。行かなくて良かったのかも知れません。

 

あの青い空と青い海の美しい島で、たくさんの悲しい思いをした人がいたって考えると胸が苦しくなっちゃうんですよね。

 

どうか、世界中で起こっている戦争が、早く終結しますように。いつも被害者は、普通に暮らしている普通の人たちなんですよね。

 

読んで下さりありがとうございました。

私のミラクル日記

しばらくこちらのブログを書けていませんでした。9月は何だか忙しくて、表アカの更新もあんまり出来ていません。

 

先日夫と貴船神社に行ってきました。3月に行って、お願いをしたのですが、おかげさまで順調に進んでいるので、お礼参りがしたくて参拝しました。

 

貴船神社って山にあるのですが、夫は本宮まで行ったら、「もうしんどいから下で待ってる。」なんて言って、最後の奥の院は私一人で行きました。

 

参拝して心で「ありがとうございます。」って伝えたのですが、”ああ、来れて良かった”って気持ちがあふれてきて、行く前はケンカしてた夫に「来れて良かったわ。ありがとう。」って言えました。

 

本宮にご神木があったのですが、ご神木の前に立つとやっぱり左肩がピリピリして、やっぱりこのピリピリは、何かを感じているんだろうなって思いました。いい波動に反応しているのかしら?

 

でも、実は家の最寄り駅の交差点でも、必ず左肩がピリピリするんだけど、何なんでしょうね。もしかして、私見えなくて良かったのかも。キャ~。

 

それと時を同じくして、空の虹が見えなくなりました。もう必要がなくなったのかしら?相変わらず、お経を読むと声がグワングワンするのだけど、これは、私の心の在り方に寄るのではないかと思いました。あんまり集中できない時には、グワングワンしないんですよね。

 

それとね、不思議な事がもう一つあるのですが、前に大好きな神社の木を見るのが好きだと書きましたが、ちょっと前に行った時に不思議な感覚になりました。近所の桜の木を触った時にも同じ感覚になったのですが、瞑想している人が、チャクラが開くって、こういう感覚なのかもと思いました。あんまり上手く言葉では表せない感覚なのですが。

 

私は瞑想しない派なのですが、なぜかと言うと、お経を読むのと瞑想って同じようなものなのではないかと思うのです。どっちも無になる感覚なんじゃないかと思うので、私はいいかな~って思うのです。

 

なんだかとりとめも無く書いてしまいました。

 

書かないと忘れちゃうんですよね。ホントはお彼岸供養の事も書きたかったけど、旬は過ぎちゃいましたね。

 

読んで下さりありがとうございました。

 

 

 

 

 

私のミラクル日記

私は母の事を毒親だった、とか苦しかった、とか前回書いたのですが、最近気づいた事がありました。

 

自分に嫌な事を言う人=悪ではないって事です。

 

それは、自分にとって必要な学びなんだってことです。必要があって、そこに登場するのかなって思いました。

 

批判って、自分にとってはありがたくないんだけど、それによって、より自分と向き合える機会を頂いたのかなって今は思うのです。

 

母は、私を全面否定の人でした。ほんとに苦しかった。でもその中で、私も成長出来たのです。で、結婚して母と真逆の考えの姑にあって、あれ?って思っちゃったのだけど、その中で、また違う方向で成長させてもらえたのかなって思ったのです。

 

答えは一つじゃない。それぞれにそれぞれの正解があるのかな?

 

そしたら、そこから自分が学ぶことが、私自身の成長なのかなって思いました。

 

私もね、うちの会の人たちに、色んな思いがあるのです。私が担当している人たちは、自分の子供のように、大切な人って思えるのですが、違うグループの人が、その方の担当している人たちに怒ったりしてると、「あんな言い方しなくてもいいのに。あの人は教えてもらってることと違ってる。」って批判の心が起きるのです。

 

上の人に、「あれって違いますよね。」って言ったら、「人それぞれだから。」って言われて、???でした。

 

でもね、やっとわかりました。それぞれ転生の回数も違うし、育った環境も違うし、

同じことを聞いても、受け取り方は人それぞれ、その人に応じてなんですね。山に登るのに、登り方は人それぞれですもんね。

 

私は、人にはその人が元気になるように、やさしくあたたかい言葉をかけることを心がけています。それは、他でもない、母に、厳しいひどい事を言われたから、そうあらないように肝に銘じているのです。そしたら、その母の言葉や私の経験も、私の人生ではいい方に生きるのかもしれませんね。苦しいのも×ではなかったのかな。

 

読んで下さりありがとうございました。

私のミラクル日記

他の人のブログを見て、確かに母のやり方は折伏だったなって思いました。

それで、自分を見つめ直すことが出来ました。

 

結婚するまで、母の姿を見ていたら、私の会はおかしいおかしいって思っていました。教えてもらっていることと、母のしていることが全く違うのです。でも、母は私にだけなんですよ。多分、自分の子供だから、執着が強かったんでしょうね。

 

私は、お世話になっている方に、何度も話を聞いてもらいました。その方は、ホントに慈悲のかたまりみたいな人で、私の話をさえぎることなく「そうだね。そうだね。あんたは頑張ってるよね。」って、うなずいて聞いて下さいました。でも、ひとしきり私が話してスッキリすると、「でもね。親孝行するんだよ。親に頭を下げるんだよ。」っておっしゃいました。ホントに理不尽な話だけど、その方に言われたら、聞かない訳にはいかない、そう自然に思わせる人でした。

 

ある時は、こうも言われました。「あのね、順化(じゅんけ)と逆化(ぎゃっけ)とあってね。逆化の方がより身に着くんだよ。」って、言われました。順化って言うのは、そのお世話になった方のように、「ああ、あの人みたいになりたいな。」って思わせて、人を教化するもので、逆化は、まさしく母「あんな人にはなりたくないな。」って思わせて、人を教化する方法です。

 

結婚前は、ほんとにしんどかったんです。宗教活動が忙しいからと、母はほとんど家事をしませんでした。私は、平日は仕事をして、それから布教に行きました。そして、週末、活動が無い時に、家の掃除と洗濯をしました。仕事も忙しく、ホントに寝る時間がありませんでしたし、会に行くのに交通費もかかるし、月末になると母が「ちょっとお金貸してくれない」なんて言うから、いつもいっぱいいっぱいの生活でした。

 

布教はね、まだまだ世の中には苦しんでいる人がいるから、この教えのご縁になって頂きたいとするもので、決して会を大きくしたいからするものではありません。そして、そのご縁から、自分が学ぶきっかけになるためにするのです。

 

私も若かったから、人を助けるぞ!なんて意気込んでいましたが、ある時「この人にご縁になってくれない?」って言われた人がいて、その方に会って、色々考えさせられました。その人はね、母一人子一人で、お母さまのお腹にいる時に、お母さまが糖尿病だったので、お嬢さんも先天性の糖尿病で、若いのに毎日インシュリンを自分で打っていました。しばらくするとお母さまが癌になり、入院しました。

 

母が宗教活動に熱心で、家の事をしないから、父と母は毎日ケンカでした。そして、母は私に八つ当たりをしました。「なんでこんな家に生まれたんだろう」って、毎日思っていましたが、そのお嬢さんの事を思ったら、そんな事を言ったら、申し訳ないのではないか、あんなに大変なのに文句も言わないその方を、助けられない自分の非力さを痛感し、両方の意味で毎日部屋で泣きました。

 

私の母も糖尿病で、1か月程食事制限のために入院したことがありましたが、その時も、毎日毎日電話がかかって来て、仕事から帰って病院に行くと「ご飯がまずい」とか愚痴を聞かされ、家では家事もしないといけないのに、父は、母がいないのでさみしかったのか、酔っぱらてくだをまき、仕事では、上司に母が入院している間は、早く帰らせて欲しいとお願いしてたのに、夕方になると仕事を振ってくるのでした。上司もね、私の事をものすごく頼りにしてたのでした。だから、私が帰って欲しくないから、そんな時間に仕事を振って来るのでした。私たちの会で教えてもらって私が得たこと、”頭を下げる。労を惜しまない。注意されたら、謙虚に「はい、気を付けます」って言って、自分が変わる努力をする”って事を心がけていたら、上司に気に入られて、どんどんやりがいのある仕事を任せてくれて、お給料も上がっていきました。

 

今となっては、若かったから出来たのかなと思います。

 

その後、夫と知り合い、結婚しました。

 

それからは、母みたいになるまいと思って、色々あったけど仕事を辞めて、家庭第一で

子育てをしました。子育ても、母みたいにはならないって言うのが、私の心にはずっとあったので、出来ない事も多かったけど、布教で学んだこと、”子供の仏性を拝む、子供の心に寄り添う。”そう思って子育てをしました。母は、私を言葉や力で変えようとしました。わたしは、それがとっても嫌だったので、本来子供が持っている素晴らしいものを尊重したいと思って子育てをしました。そしたら、とってもいい子になったのです。ま、上には上がいるから、上を見たらキリがないけど、その年代の私と比べたら、私は確実に子供に負けてると思うのです。

 

若い頃に会の勉強に出て、「雨はうんこの上にも落ちるのです。」って聞いた時に、あ、私、うんこの上に落ちた人だ。って思いました。でも、今はうんこを栄養にして、変化したのかなって思うのです。

 

法華経の教えは、それぞれの機根に応じてしか受け取れないと書いてあります。母は母の受け取り方、私は私の受け取り方なんです。

 

また、あなたの一生なんて法華経の深遠さに比べたら、スプーン一杯の海の水を、右から左へ運ぶほどのものですって書いてあります。もっと機根が上がれば、もっと受け取れるようになるのかな。

 

まだまだ先は長いけど、私は、母と言う泥の中に染まらず、花を咲かせて幸せな家庭を頂けたのは、法華経の教えのお陰さまなのだと思っているのです。

 

いまだに、結婚前の苦しかった日々を思い出して、母に色んな気持ちは起こるけど、それが無ければ、今の幸せはないと思うと、それも、いつかありがたいと思える日がくるのでしょうかね。母が提婆達多だったんだろうなあ。でも、まだ善智識とは思えないなあ。

 

書いたらすっきりしました。

 

読んで下さりありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

私のミラクル日記

ちょっと前にYouTubeで、宇宙の真理を人々が学ばないと、世界は大変な事になるって言ってて、あら大変って思いました。

 

うちの母は、法華経が宇宙の真理なんだよ!やらなかんのだよ!ってヒステリックに怒鳴られた事がありました。

 

宇宙の真理ってなんなんだろう?って思いました。

 

そう思いながら私の大好きな神社に行ったのですが、このブログに最初に稲荷神社にお参りするって書いてあったから、稲荷神社に最初お参りしました。

 

そしたらね、見えたの。光の柱。神社の社の後ろの所に光の柱が見えました。

 

前に ticktokで光の柱が見えるって人がいたから、これか~って思ったんだけど、確かに光の柱でした。

 

で、その後本殿にお参りしたけど、別に願いも無くて「いつもありがとうございます」って手を合わせて、その後大好きな楠の所に行きました。しばらく眺めていて思ったのですが、この木も大いなる命に生かされているんだな~って思いました。

 

ただ、光を浴びて、雨の恵みを受けて何百年も生きているんですよね。

 

それはもう”生きてる”じゃなくて”生かされてる”んですよね。

 

地球って”母なる大地”って言うじゃないですか。その命の元、地球っていう母ちゃんから見たら、私たちはみんな子供ですよね。その子供が世界のどこかで戦争したり、ご飯が食べられなくて苦しんでいたら、かあちゃん悲しいよね。なんて思ったのです。

 

自分も母なので、小さい頃子供たちが、兄弟げんかするととっても嫌な気持ちになりました。(自分の夫婦喧嘩は棚に挙げて(*'▽'))

 

みんな元は同じ、大きな命に生かされてる、そして素晴らしい生命力を持っているんだから、助け合って思いやり合って生きていくのが、宇宙の真理なのだろうか。ワンネスが宇宙の真理なのだろうか。

 

読んで下さりありがとうございました。

 

 

私のミラクル日記

以前このブログで、パラパラって雨が降ったって書いたのだけど、それについて書こうと思います。雨ってね、ホントのお天気の雨ではなくて、神社とかに行くと、ちょっとだけパラパラって降る雨の事なのですが、神さま仏さまが喜んでると、雨が降るってどこかに書いてありました。

 

雨は3回降りました。

 

1回目はね、普通に道を歩いていた時です。

 

あれ?もしかして私って何かすごいのかな?って、一瞬思った時があったのです。私は、母に悪い所を指摘されて育ったので、自己肯定感が低いのですが、その時は一瞬、3人まっとうに子育て出来て、私ってすごいのかな?って思ったのです。そしたら、ホントにパラパラって少しだけ雨が降りました。

 

でもね、よく考えたら、みんなみんな神さま仏さまの子供なのだから、みんなみんなすごい人なのです。自分の事をダメだなんて思っていたら、神さま仏さまに失礼なのではないかと思うのです。

 

この世に生まれて来たって事が、まずすごいことなのだから、反省はしても、自分の否定は良くないですよね。やっとそれに気づけたのかもしれません。

 

2回目は、普通に神社に行った時です。絶賛お試し期間真っ最中の時でした。家からそんなに遠くない所に、素敵な神社があって、楠の大木が入り口にあるのですが、何故かその木が大好きで、行くと木の前でしばらく癒されていました。お試し期間のしんどい時だったので、雨がパラパラ降った時には、「よく来たね」って言われているような気がしました。

 

でもさ、ここまでだと気のせいで済みますよね。でもね、3回目は決定的だったのです。

 

たまたまママ友と立ち話をしていて、その方は、お子さんの反抗期で悩んでいたのですが、私はずっと子育ての勉強をしていて、そこで教えてもらった事を踏まえて、「お子さんの脳が成長しているんだよね。お母さんが一生懸命育てたから、ちゃんと自分で考えられるお子さんになったんだね。成長しているんだね。」ってお話ししました。その方は納得しました。そして、「また悩んだら、いつでもお話し聞かせてもらうわね。」って言ったら、パラパラと雨が降りました。

 

その時は、私ではなく、一緒にいたその方が「雨?」って言ったので、一瞬だったけど間違いないと思います。

 

そこで私は、ちょっとよこしまな思いもあったけど、ブログを始めよう。もしかして、私の学んだことと私の経験を書いたら、子育てに悩んでいるお母さんたちの助けになるかもしれない思い、このグループにもあるけど、もう一つのブログを始めたのです。最初のよこしまな思いは叶わず、なんと収益6円・・・(;_:)

 

私の子育ては別に正解じゃないし、100点でもないのですが、読んだ人が私の失敗を読んで、ああゆうことしない方がいいなって思うだけでも、役に立つのではないかと思ったのです。

 

でね、そのブログを始めてから、何だか救済があったのです。

 

お試し期間は、毎日「お金がない・・・どうしよう・・」って思ってたのですが、今は普通に生活出来ているのです。

 

他の人のブログを読んで、あ、この人私がブログに書いてた事を書いてるなって思うと、何か感じてくれたのかなと思い、うれしいのです。

 

子供は親の道具ではなく、未来を創る大切な人々なので、愛をもって大切に育てなければならないと思うのです。少なからずそのお手伝いが出来るのは、うれしい事なのです。

 

読んで下さりありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

私のミラクル日記

前に、星の周りにキラキラ光るものが見えると書きましたが、昨日、たまたま空を見てたら、いつもよりはっきり大きく見えました。これはホントになんなんだろうと思って、スマホで検索したら、同じような人がいました。

 

スピリチュアルカウンセラーをしている方でした。

 

その方は師匠が亡くなってから、そういうものが見えたそうです。人生の転換期だったとありました。

 

私も母が亡くなり、過去帳を引き継いで、得度を頂いたのが同時期で、その時からすったもんだあって、昨日のキラキラだったのです。

 

私も人生の転換期なのかな。

 

今って、にわかスピおばさんでも知ってるけど、ライオンズゲートってやつが開いているんですよね。そのせいで、昨日はくっきりはっきり見えたのかしら。

 

見えるものしか信じなかった私が、見えないものを信じる私になるのかな。こんなに見せられたら、信じない訳にはいかないですね。

 

主人には「お前大丈夫か」と言われたけど。

 

ま、そりゃそうだよね。見えないんだもんね。仕方ないですね。

 

 

kageyamayouko.hatenadiary.com